【この1冊】『新版1945年8月6日~ヒロシマは語りつづける』 - ピックアップコラム
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親父が原爆の話を 孫達にしていました。
あのころ、学徒動員で東洋工業(現マツダ)の工場で小銃を作っていたこと。
あの日はたまたま休みで裏山の畑にいたこと。
真っ青な暑い日で、B29が一機、広島方面に。
一機だったので警戒警報だったそうです。
まもなく市内方向上空に見たこともない光の玉が。
あとから黒い雲が上り雷が凄かったこと。
当日、天応町の議員をしていた私の祖父が広島市内に行っていて行方不明になったので、探しに行ったこと。
行ってみると死体と火傷の人のやま。
1日では見つからず何日か捜しまわったようです。
原爆の熱線だと強すぎて火傷しても熱さ痛さを感じずにいたそうです。
黒い服を着てた人のほうが被害が酷く、白の長袖シャツを着させられたとのこと。
その後祖父は見つかり、原爆症に悩みながらも平成元年まで生きていました。
戦争体験者はどんどん高齢化しています。
普通の国民がとのように戦争を乗り切ったか。
なんとか伝え次いでいかないと。
平和ボケで戦争の悲惨さを判らない奴が増えてます。
戦争シュミレーションゲームで、戦場の厳しさが判らない輩ばかりです。
今でも最後は肉弾戦。突撃して銃剣で止めを刺すんでしょうか。
戦争は何も生みません。
死ぬのは、国民であり一兵卒です。
どうすれば戦争しなくて済む世界になるんでしょうか。
毎年の願いです。
「安らかにお眠りください。あやまちは繰り返しませんから」
去年、二度と繰り返してはいけないあやまちを繰り返してしまいました。
三度目は、日本がなくなります。
核に平和利用はありません。